天命の人 3

 目が覚めた時、テメノスは静かな部屋の中にいた。
 ウィンターランド奥地の町、ストームヘイルの宿だ。窓のカーテンを開けて、外の雪がずいぶん弱まったことを確認する。山にかかっていた雲が薄れ、朝日が白い景色を照らしていた。
(オーシュットがうまくやったのか)
 ふっと笑みが漏れる。仲間の狩人が、霊峰アルタへで吹雪を起こしていたグラチェスという魔物を無事に捕らえたらしい。そのため天候が回復したのだ。
 同室のベッドではヒカリが静かに眠っていた。こちらもずいぶん手こずったようだが、無事にメイ家を説得できたのだろう。
 となると、残るはテメノスの用事だけだった。
 一行はストームヘイルにて三者三様の目的を抱えていた。緋月の夜に備えるための魔物集めと、メイ家との交渉と、建築士ヴァドスの審問。前者二つは、訪れる前から「戦いになる可能性が高い」と分かっていた。だから八人を三方に分けたのだ。
 ――町にやってきたばかりの日、仲間たちはその振り分けを決めるため宿の一室に集まった。テメノスは部屋を見回し、開口一番にこう告げる。
「私の方はひとまず大丈夫ですから、残りの五人を二箇所に割り振ってください」
「一人で行くのか?」腕組みしていたヒカリが目を見開き、
「違うよヒカリくん。ほら、ここは聖堂機関の本部があるから――」アグネアが目を輝かせてぱちりと両手を合わせ、
「優秀な助手がいるってことか」
 ソローネが口の端を吊り上げる。テメノスが聖堂騎士クリックとともに事件を調査していることは皆も承知していた。神官は表情を変えず、
「優秀かどうかはさておき、今のところ人手は足りています。私は審問と調査のみになりますし、ヒカリとオーシュットの用件を優先させてください」
 他の仲間にも異論はないようだった。一行を取りまとめる立場の薬師キャスティがうなずく。
「分かったわ。でも、もし危険があったらすぐに言ってね。どこへでも駆けつけるから」
 彼女はすでにオーシュットとともに雪山に挑むことが決まっていた。おまけに彼女は身一つで戦場に繰り出す薬師だ。「そちらの方がよほど危険なのでは」とテメノスは思ったが、突っ込まないことにした。
「ええ、必ず」
 そうして調査を終えたテメノスが帰ってきた時、宿には誰もいなかった。おそらく仲間たちは彼が寝た後に戻ったのだろう。
 さて、今日も調査の続きだ。彼は少し悩んだ末に、神官の法衣ではなく学者のライセンス保持者の証である黒いコートを羽織った。
 前日の時点で調査は難航していた。審問相手のヴァドスが何者かに殺されたせいで手がかりがなくなり、八方塞がりの状況だ。しかも墓場でヴァドスの遺体を見つける直前、テメノスは何者かに襲われかけた。クリックが駆けつけなければ危なかっただろう。
 その話を仲間に伝えるべきとは承知していたが、あいにくそのタイミングがなかった。とにかく武装は必要だ、と愛用の杖を握しめる。
 ヒカリを起こさぬよう部屋の扉をそっと閉め、静まり返った廊下からロビーを抜けて宿を出た。天気が穏やかになったおかげで昨日よりもあたたかい。彼はほっと白い息を吐き、雪を踏みしめる。
 まずは手がかりを再確認するため、聖堂機関本部を目指した。
(おや?)
 あたりの様子を見てテメノスは違和感を覚える。町の中心に建つ本部の前に、この時間にしては不自然な人だかりができていた。彼は不審に思いながらそちらに近づいていった。

 前日、クリックとの別れ際に宿の前でこんな会話をした。
「ところでテメノスさん、なんでお仲間のみなさんがいないんですか?」
「……今それを聞くんですか?」
 朝にクリックと聖堂機関本部の前で再会してから、すでに一日分の調査を終えている。真っ先にすべき質問だろうと指摘すると、騎士は苦虫を噛んだように顔を歪めて、
「テメノスさんが説明してくれると思ったんですよ。なのにどんどん調査を進めるから……」
 一体こちらにどんな期待をしているのだ。テメノスはため息をつき、仕方なしに答える。
「全員他の用事で忙しいんです。この町に仲間の目的が集中していましてね」
「でも、七人もいるんだったら一人くらい付き合ってくれるでしょう?」
 クリックは妙に食い下がってきた。テメノスはそれを訝しく思いながら、かぶりを振る。
「私が断ったんです」
「え、なんでですか!」
「人手は足りていますから」
 この返答にクリックは呆れたようだった。鎧に守られた両肩を少し上げて、声色を変える。
「あのですね、僕だってずっとあなたについていられるわけじゃないんです。何かあってからじゃ遅いんですよ」
 ほとんど諭すような口調だった。彼の言うとおり、明らかに調査は危険を増している。正鵠を得た意見にテメノスは黙り込んだ。
「素直にみなさんを頼ればいいじゃないですか。僕はちょっと話しただけですけど、いい人たちだと思いますよ。キャスティさんなんか絶対助けてくれると思います」
 西大陸の港町カナルブラインにて、クリックは一部の仲間と接触していた。特に薬師とはそれなりに長く会話したようである。波音の響く夜の町、そして枯れ葉が風に舞う景色が一瞬だけ頭をよぎり、テメノスは肩をすくめた。
「まさか子羊くんに説教されるとはね……」
「説教だなんて……さすがにこれは冗談じゃないですよ」
「分かっています。心に留めておきましょう」
 その返事を聞いたクリックは、ほっとしたように表情を緩める。
 テメノスは少しまぶしい気分で騎士を見つめた。フレイムチャーチで出会った時は新人だと言っていたが、こちらの知らぬ間に任務を重ねたのか、言動がしっかりしてきた。
 この聖堂騎士は、かつて異端審問官ロイと出会ったことで聖火教を志したらしい。「世の悪を斬って弱き者に手を差し伸べる剣になりたい」というのが彼の行動原理だという。きっと、そんな青臭い正義感によって変えられることもこの世には多くあるのだろう。
 気分は悪くなかった。長く勤めるうちに疑惑ばかり向けるようになった教会にも、ようやく信じるに足る相手を得たのだと、その時のテメノスは思ったのだ。

 聖堂機関本部の地下に広がる大きな空間で、テメノスはがくりと床に膝をついた。
「くっ……」
 口の端から血が垂れる。斬られた腹部に手を押し付けて早口に魔法を唱え、傷を塞いだ。が、体力は戻らない。劣勢であることは否めなかった。
「どうした、私を断罪するのではなかったのか?」
 光の大盾に守られ、長剣を構えた騎士がテメノスを嘲笑う。聖堂機関の副長クバリーだ。
 ――昨晩、独自に事件の手がかりを追って聖堂機関本部の禁書庫にたどり着いたクリックは、黒幕であるカルディナ機関長に邪魔者として殺された。町で遺体を見つけたテメノスは騎士の残した手がかりを追いかけ、一人でここにやってきたのだ。禁書庫にたどり着くまでずっと集中状態にあったため、ほとんどまわりを見ていなかった。そのためクバリーの尾行に気づかず、こうして地下で追いつめられてしまった。
 致命的なミスだった。「戦いは本業ではない」と言いつつも旅の間にそれなりに鍛えてきたつもりだったが、やはり本職の騎士と一対一では勝機が見えなかった。
 揺れる視界の中、テメノスは赤く染まった手のひらを見た。雪の上に散っていたクリックの血を思い出す。
(……後悔、しているのか)
 なりふり構わず一人でここに来たことも、クリックを巻き込んだことも。思い返せば悔恨の種などいくらでもある。今はそんなことを考えている場合ではないと分かりつつ、薄暗い思考に引きずられた。
 膝に力を込めても立ち上がれない。血を流しすぎたのだ。彼は床についた手を握ってこうべを垂れる。
 クバリーがかかとを鳴らして近づいてきた。
「そろそろ終わりにしてやろう」
 長剣が振り下ろされる気配がした。テメノスがまぶたを閉じた直後、ひゅっと風を切る音が割り込んだ。
「なっ」
 クバリーが明らかに動揺した声を出す。訪れるべき瞬間が未遂に終わったことを悟り、テメノスははっとして顔を上げた。どこからともなく飛来した一条の矢が、クバリーの肩当ての隙間に突き刺さっていた。よろめいた彼女は矢を引き抜く。
「何者だ!?」
 副長のにらむ先から複数の足音がした。真っ先にテメノスの前に立ったのは白い帽子に黄色いコートという、剣士らしくない格好をした剣士だった。テメノスは呆然とする。
「ヒカリ……!? どうしてここに」
「説明は後。テメノスはしばらく休みな」
 続いてソローネが姿を現した。彼女はフリルの付いた長スカートを翻し、短剣を構えて姿勢を低くする。
 最後にテメノスの背中にあたたかい手が添えられた。
「治療は任せて」
 そこから癒やしの力が伝わり、呼吸が楽になる。神官の格好をした薬師がしゃがみ込み、こちらの顔色を確認しながら回復魔法を使ったのだ。
「朝起きたらあなたが宿にいなくて、行方を探しているうちに聖堂機関本部の前で起こったことを聞いてね。それからあなたの目撃証言をたどってきたのよ。ここの入口はソローネが見つけたわ」
「そうでしたか……」
 テメノスは血の混じった咳をした。キャスティが眉根を寄せる。
「ひどい怪我ね……私はしばらく手当てに集中するわ。ヒカリ君、ソローネ、前をお願い」
「承知した」
 ヒカリが険しい顔で一歩踏み出す。狼狽から覚めたクバリーは悠然と剣を構え、乱入者たちを見据えた。
「お前たちがそこの男に与していることは知っているぞ。そのせいでテメノスの処理が遅れたのだ」
「それはどうも。一緒に旅してた甲斐があったよ」
 吐き捨てたソローネは、一転してヒカリの後ろから飛び出した。完全に不意打ちのタイミングだ。
「はっ」
 鋭い声とともに強烈な蹴りを光の盾に叩き込む。クバリーは「無駄だ」と笑った。
「ヒビも入らないか……!」
 舌打ちする彼女と入れ違いにヒカリが前進した。
「しかし最初の矢は通った。意識の外からの攻撃には弱いのかもしれぬ」
「なるほどね……いろいろ試してみるか」
 ソローネは唇を舐め、くるりと短剣を手首で回す。
 今度はこちらの番だと言わんばかりにクバリーが横薙ぎに剣を振るい、ヒカリが己の得物でしっかりと受けとめた。その一合で相手の実力を見極めたのだろう、剣士は一旦距離をとって喉から声を絞り出す。
「……そなたがクリック殿を手にかけたのか」
「いいや、カルディナ様が直々に相手をされた」
 そこで調子づいたクバリーが唇の端を吊り上げる。
「クリックは我らの目的の尊い犠牲となった。あれが奴の天命だったのだ!」
 高笑いする彼女と反対に、ソローネのまとう空気が一気に冷え切った。
「……それは、百歩譲っても殺った奴が言っていいことじゃないよ」
「そうだな」
 ヒカリの感情を抑えた返事が地下空間に重く響いた。今戦場に立つ二人はそれぞれ多くの生命を奪っているが、クバリーたちと全く違うスタンスでそれに向き合っていた。まったく、神の剣と呼ばれる組織のトップが何故こんな有様なのだろう。まさか聖職者に対して「盗賊を見習え」と言いたくなるとは、旅に出る前は考えもしなかった。
 激化する戦闘をよそに、キャスティは鞄から複数の素材を取り出して薬を練る準備をはじめた。前線から視線を戻したテメノスは急いで彼女に告げる。
「手当ては最低限で構いません。戦線に復帰できる程度にしてください」
「テメノス、何を……」彼女は眉をひそめる。
「時間がないんです。おそらくヒカリたちでもあまり持たないでしょう」
 テメノスは苦い気分で言う。よく見れば、助太刀に来た三人の顔には疲労が色濃く残っていた。別の用事をこなした後、完全に回復しないままテメノスを心配して宿を出てきたのだ。ヒカリたちが二対一であそこまでクバリーに押されているのも、そのせいだろう。
「……分かったわ」
 彼女は鬼気迫る表情で素材を選び直し、調合をはじめる。戦場から響く断続的な金属音など耳に入らないかのような集中だった。やがて彼女はすり鉢と水をテメノスに渡す。
「これを飲んで。しばらくしたら一時的に痛みが飛んで動けるようになるから。でも……無茶しちゃだめよ」
「あなたたちだって十分無茶しているじゃないですか」
 薬を受け取りながら思わず言い返すと、キャスティは少しだけ表情を和らげた。
「それじゃ、行ってくるわ」
 彼女は無骨な斧を握り、神官のライセンス保持者の証であるベールを翻して前線に出ていく。一見ちぐはぐな姿だが、いつしかテメノスはあれを見る度に頼もしさを覚えるようになっていた。彼は痛みに耐え、飲んだ薬が効くのをじりじりと待ちながら戦場を見守る。
「加勢に来た割に大したことはないな」
 クバリーは袈裟懸けに剣を払ってせせら笑う。帽子を落とし、黒い髪を晒したヒカリは崩れるように片膝をついた。ソローネが彼の代わりに長剣で相手の斬撃を受けて、足をふらつかせる。副長の光の盾はヒビだらけになっていたが、まだ割れていなかった。
 今のテメノスの位置では回復魔法を使っても仲間に届かない。キャスティもこの状況だとソローネへの加勢を優先させるだろう。つまり、ヒカリの傷を癒やせるのはテメノスしかいなかった。一刻も早く駆けつけなければと思うのに、体はまだ動かない。口惜しくて、じっと副長をにらみつける。
 クバリーが目元を覆う兜の奥で瞳を光らせた。
「テメノスよ、お前の失敗がこの事態を招いたのだ!」
 その糾弾を否定できず、テメノスはただ唇を噛んだ。
 直後、副長に向かってまっすぐ走っていったキャスティが斧を振り抜く。クバリーは飛び退いた。
「いいえ、不測の事態に備えたスケジュールを組まなかった私の責任でもあるわ」
 薬師の目配せを受け、ソローネがヒカリを抱えて戦線から離脱する。キャスティは一人で副長の相手をするつもりなのか。
 その時、テメノスは身を縛る痛みが軽くなったことに気づいた。やっと薬が効いたらしい。杖にすがりついて立ち上がり、後退してきたソローネと合流した。床に横たえられたヒカリは意識を失っていたため、すぐに復活魔法を唱える。
「聖火神の御業よ……」
 肉体から離れかけた魂すら呼び戻す魔法だ。これで息を吹き返すはずだが――ヒカリの容態を見たソローネが色を失う。
「目が開かない……テメノス!」
「分かっています」
 ならば今度は回復魔法だ。剣士だけでなく盗賊の傷も癒やすため、限界まで魔力を引き出した。
 テメノスが治療に専念する間も、前線では戦いが繰り広げられていた。
 クバリーが薙いだ剣を、キャスティは斧の柄で防いだ。両者とも全身全霊で腕に力を込めるが状況は動かず、武器が組み合ったまま膠着状態に入る。
 その時、ずっと黙っていたキャスティが静かに口を開いた。
「……心が傷ついた人が判断ミスをするのは当たり前よ」
 淡々とした声には、怒りも悲しみも浮かんでいない。彼女は先ほど「テメノスは失敗した」と言い切ったクバリーに対して反論していた。
 それを聞いた瞬間、テメノスの心は一瞬揺れた。魔法の集中が途切れかけたので、慌てて立て直す。詠唱が完成すると、柔らかい光が広がって仲間たちを包んだ。
 ヒカリがうっすらとまぶたを開けたことを確認したテメノスは、たった一人で戦線に立つ深緑の背中へと視線を飛ばす。
「だから、間違ってしまっても大丈夫なように私たちがいるの」
 キャスティは、今のテメノスは傷ついているのだと語っていた。
 雪の上ににじんだ血と、まぶたを閉じた聖堂騎士の姿が脳裏に蘇る。それだけではない。破られた聖窓や幼なじみが最後に見せた大弓といった過去の景色が次々と浮かんでは、水の上に舞い落ちる粉雪のようにじわりと解けていく――
 キャスティがさらに踏み込んだ瞬間、クバリーの手首が急角度に動いた。
「戯言を!」
 あっと叫んだのは誰だっただろう。騎士の一閃によってキャスティの斧が弾き飛ばされた。武器は重い音を立てて遠くの床に落ちる。それを見たソローネが反射的に腰を浮かせるが、力が入らず体勢を崩した。ヒカリも意識はあれど、未だ起き上がれない状態だ。
「くうっ」
 キャスティはとっさに杖を腰から外し、次の一撃を受けた。だが攻撃の重さに耐えきれず、鈍い音とともに杖が折れる。同時に彼女はのけぞって長剣の切っ先を避けようとしたが、逃げ遅れた腕から血の線が飛んだ。
 テメノスは法衣をまとった細い背を食い入るように見つめた。自分こそがこの戦いの当事者で、本来ならあそこにいるべきなのに、体が言うことを聞かなかった。
 永遠に引き伸ばされたような一瞬の中で、ふと目の前に穏やかな景色がよぎる。
 ――実はね、私にライセンスの存在を教えてくれたのはクリック君だったの。
 キャスティがそう明かしたのは、神官ギルドにてライセンスを取得した翌日だった。もうずいぶん昔のことに思える。
 色とりどりの朽葉に覆われた道を目的地に向かって歩く途中、急に彼女に話しかけられたテメノスは目を見開く。
「いつの間にそんな話をしていたんですか?」
「カナルブラインで、旅立つ朝にちょっとね。私が神官の魔法はどうやって使うのか聞いたら、教えてくれたのよ」
「そうでしたか」
 だからキャスティはギルドは知らずにライセンスの存在だけを把握していたのだ。あの聖堂騎士もきちんと順序立てて教えればいいのに、気が利かないものである。
 キャスティはほほえむ。
「他にもいろいろと……あなたの話も聞いたわ。あなたはよほど彼のことを気に入ってるのね。教会内部の人に、教皇の事件について本当のことを話しているくらいだもの」
「まあ……ある程度は成り行きでしたが」
 微妙に居心地の悪くなったテメノスは言葉を濁した。
 そのあたりの心の動きは自分でも整理しきれていなかった。本来なら「教会関係者である」というだけで警戒対象に入るはずだ。クリックについてはまだ新人であり、からかった時の反応が面白かったので、テメノスもつい気が緩んだのかもしれない。もしくは、騎士の持つ正義感が自分にはないものだったからか。
 キャスティは声をひそめて付け加えた。
「私、あなたのことをクリック君から頼まれてるのよ。僕がいない間もよろしくお願いします、って言われたわ」
 テメノスは驚きを呑み込んで肩をすくめた。
「まったく余計なことを……」
 クリックはどういう立ち位置のつもりで言ったのだろう。よりによってキャスティに頼むなんて、完全に筋違いではないか。
「そういうことだから、あなたに何かあったらきっと私たちが助けるわ。安心してね」
 彼女はわざわざクリックと約束せずともそれを実行する人だ。しかし、あえて言葉にしてテメノスに届けた。その時の薬師のほほえみは、彼の目に強く焼き付いた。
 さすがにそんな宣言を黙って受け取るテメノスではない。偶然とはいえ、前日には聖火神の祭壇で新たな技も習得している。一方的に助けられる立場などごめんだった。
 彼は口を開き、「それはこちらの台詞です」と告げてやった。
 ――暖色に染まった風景から、暗い地下へと意識が戻る。
 今のテメノスは道に迷っている。クリックや仲間を巻き込んだことを悔やんでいるし、己が進む道が正しいのかどうかすら分からない。
 だが、少なくとも仲間たちはテメノスの旅路を肯定し、彼が選んだものは間違っていなかったと、クバリー相手に証明しようとしている。テメノスはどうにかその気持ちに報いたかった。
 だから、彼はこの上なく真剣に聖火神に祈った。普段の姿勢もかなぐり捨てて、今この瞬間だけは必ず応えてくれると信じて両手を組み合わせ、床にひざまずいた。
 あの日に天から力を授かったのは、今ここで使うためだ。
 まさにクバリーの攻撃を受けんとする法衣の背中へ、彼は心の中で声を届ける。
 ――ご安心を、あなたは私が守りますから。
 キャスティの体に、宙から舞い降りた金色の光がまとわりついた。彼女はクバリーの突きを間一髪で体をひねって避ける。無理のある体勢だ、普通なら足がもつれて次の攻撃に対処できなくなるだろう。だが、彼女は抱えた疲労を捨て去ったかのように軽やかなステップを踏み、態勢を立て直した。それは聖火神への祈りがもたらした力だ。
「何故だ、何故お前ごときがその技を……!?」
 クバリーが薬師の肩越しにテメノスを見つめ、愕然としたように叫ぶ。
 親切に答えてやる義理などない。あの盾の弱点はすでに「調べて」いた。テメノスは自分の杖を投げる。
「キャスティ!」
 薬師は飛んできた杖を片手でしっかりとキャッチした。そして反対の手で勢いよくベールを脱ぐと、クバリーの顔に向かって放った。いつもと違う形に結い上げた金髪があらわになる。
「なっ!?」
 視界を塞がれたクバリーが慌てて布を払うが、その時すでにキャスティは杖を振りかぶっていた。
 迷いも後悔も断ち切るように振り下ろされた武器が、ついに光の盾を破る。直後、綺麗に乾いた音が地下書庫に響いた。
 長い戦いの終わりを飾ったその一撃は、きっと聖堂騎士クリックがつないだものだった。

 

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