天命の人 2

 落ち葉舞うクレストランド地方にて、一行は崖っぷちに建つ教会を見つけた。
「こんなところに教会? 誰が来るんだろ」
 ひさしのように額に手をあて、ソローネは吊橋の対岸にある建物を不審そうに眺める。
「もちろん聖火教会だよな……テメノスは知ってんのか?」
 パルテティオに尋ねられた神官はあごを引いた。
「噂に聞いただけですが。大聖堂とはまた違う組織でしてね」
「もったいぶらないでよ」
 ソローネが唇を尖らせるが、テメノスは口の端を上げるだけで答えなかった。彼の予想通りならば、目の前の教会は「あれ」だろう。
 見るからにこぢんまりとした建物で、内部は狭そうだった。八人全員が入ると迷惑になるだろうということで、先にアグネア、ヒカリ、オーシュットが吊橋を渡っていく。アカラを含めた残りが対岸で待っていると、ほどなくアグネアが出てきた。彼女は目を丸くして言う。
「ここ、神官ギルドだって!」
 やはりそうか、とテメノスはうなずく。その横でキャスティが首をかしげた。
「ギルドって……?」
「ご存知ではないですか。ソリスティアの至るところにあるのですが」
「今まで行った場所では見なかったわ」
 かぶりを振る彼女は記憶喪失であり、一般常識すらところどころ抜け落ちていた。その状態になってからすでに大陸を一周以上しているはずだが、たまたまここで初めてギルドを見つけたのだろう。
「神官のライセンスを発行する場所ですよ」
 とテメノスが簡単に説明すれば、
「ああ、それなら知っているわ」
 彼女はぽんと手を叩いた。後ろにいたオズバルドが口を挟む。
「ギルドは知らず、発行物は知っているのか」テメノスも同様の疑問を抱いた。
「あちこちで断片的に話を聞いていると、こうなっちゃうのよ」
 キャスティは苦笑した。薬師として活動する間に聞きかじったのだろうか、とテメノスは頭の片隅に留めておく。
 続いてオーシュットとヒカリが出てきた。狩人は小さな紙切れを皆に見せる。
「ほら、これが神官のライセンスだって!」
「こんなにあっさり発行してくれるもんなのかよ。手数料でもとられたのか?」パルテティオが驚く。
「いや、それはなかった。辺鄙な場所にたどり着くほど信心深い者だから、と発行してくれた。一団体につき一つだそうだ。追加でもらうには条件があるみたいだが」
 ヒカリも若干困惑した様子だった。
「そんな条件でいいんですかね……」
 テメノスはこめかみを指で押さえる。その肩をソローネが指先でつついた。
「で、ギルドと大聖堂の違いってなんなのさ」
 他の皆からも注目が集まり、彼は仕方なしに説明する。
「ここも聖堂機関のような外部組織ということです。もちろん聖火教会の一部なのですが、教皇をトップとするわけではなく、ギルドマスターのもとに一般の神官たちの労働環境を良くするための組織、という感じですね。ライセンス発行は……布教活動の一環でもあるのでしょう」
 ソローネは腰に手を当ててテメノスの顔を覗き込んだ。
「ふうん。あんたの労働環境も見直してもらったら?」
「是非ともそうしてほしいですね……」
 テメノスは嘆息する。しかし異端審問官は他におらず、今追っている事件を他人に任せることもできない。これが彼の仕事なのだった。
 キャスティがオーシュットに近寄り、紙切れと対岸の教会を見比べた。
「そのライセンスがあれば、神官の……テメノスみたいな魔法が使えるってこと?」
「ええ、癒やしと光の力ですね。戦力増強にはちょうどいいのではないかと」
 テメノスは相槌を打つ。何しろ彼らのパーティは人数が多いので、薬師と神官の二人体制でも回復が行き届かないことがあるのだ。キャスティと常々「どうにかしなければ」と話し合っていたところなので、渡りに船だった。
「それなら私……やってみたいわ。前から回復魔法に興味があったの」
 彼女はおずおずと手を挙げた。興味がある、というのはおそらく薬師としての使命感に由来するのだろう。本当に真面目な人だ。
 テメノスは少し考えた。キャスティは後方で治療を終えたら、すぐに前線まで走っていくような人だ。そんな彼女にさらなる役割を任せるのは荷が重いのではと思ったが、あえて回復役を一人に集中させるメリットもある。
(本人がやりたいと言っているのだから、水を差すこともないか)
 いざとなれば自分が補佐すればいい、とテメノスは一人で結論づけた。
 するとアグネアが目を輝かせる。
「いいと思う! キャスティさん、あの神官の服とっても似合いそうだし」
「え、服を着替えるの?」キャスティが目を瞬いた。
「ライセンス保持者の証だ。それがなければ力を使うことが禁じられている」
 オズバルドの解説が入る。正確には、別の生業を持つ者がライセンスを保持して力を行使する時は、それに対応した服装が必須になる。ライセンス所持者が本職を騙ることを禁ずるための処置であった。
 キャスティは不思議そうに首をかしげていたが、「似合う似合わないは別として」と切り替えて仲間たちを見回す。
「他に神官をやってみたい人はいる?」
 皆がかぶりを振ったので、キャスティは胸に手を当ててうなずいた。
「なら私で決まりね。この紙を持って、中にいるギルドマスターに会えばいいの?」
「うん、そうみたい」オーシュットが耳を揺らして首肯し、
「ついでに部屋を貸してもらって着替えてきたら?」
 ソローネがあごで教会を示した。
「あたし、着替えを手伝うわ!」
 アグネアは何やら気合が入った様子でキャスティの手を取り――薬師の方は若干腰が引けていた――教会に引っ込んだ。他のメンバーはしばらく外で待機することになる。
 穏やかな日差しに照らされた教会の壁には聖窓がはまっている。大聖堂ほどではないが大きなガラスだ、とぼんやり眺めていたら、
「同じ組織なんでしょ。挨拶とかしなくていいの?」
 暇を持て余したソローネが話しかけてきた。テメノスは首を振る。
「嫌です。そういうのが鬱陶しくて旅に出たんですよ」
「あんた本当に神官なの?」
 その呆れ顔を無視し、今までの事件をまとめたメモを読み返して時間を潰していると、やがて教会から二人が出てきた。パルテティオが「おっ」と声を上げる。
 キャスティは普段よりも丈の長い法衣を着て、深緑のベールをかぶっていた。一般の神官のベールは白なので、ああして差別化しているわけだ。彼女は普段から清潔感のある服装をしているが、神官姿だと一層雰囲気が引き締まって見える。おまけに珍しく髪を解いており、「意外と髪が長いのだな」とテメノスは驚いた。
「えへへ。お団子だとベールの後ろから飛び出ちゃうから、とりあえず下ろしてみたの」
 コーディネートを担当したであろうアグネアが自慢げに言う。キャスティはそわそわと髪の先を触っていた。
「なんだか落ち着かないわ……あとで結び直そうかしら」
「よく似合ってるよ、キャスティ」
 ソローネが率直に褒める。他の皆も異口同音に共感を示した。
「ねえねえ、魔法ってどうやって覚えるの? いきなり使えるようになるの?」オーシュットが興味津々の様子で身を乗り出す。
「一通り説明を聞いたわ。基本的なものはギルドマスターが教えてくれるけど、あとは自力でなんとかしないといけないようね」
 彼女は小さな紙切れを大事に握る。
「そんなんでちゃんと覚えられるのかよ」パルテティオが眉根を寄せた。
「魔法といっても体系化された技の一つですから、学べば誰でも順当に使えるようになりますよ」
 テメノスは助言した。その手助けをするのがライセンスの力だ。聖火神に由来する技を異なる生業のものが使うことを可能にする。あれはただの紙切れではないのだ。
「まあ、魔法についてはおいおいテメノスに教わったらいいだろ」
 突然ソローネに指名され、神官は反応が遅れた。
「……私ですか?」
「何故驚くのだ?」
 ヒカリが軽く眉を上げる。周囲から不思議そうな視線が向けられたので、テメノスはつい横に目を流した。
「魔法の原理ならオズバルドの方がくわしいですよね」
「神官の魔法だ、お前が教えるのが道理だろう」
 即座に言い切られた。ぐうの音も出ない。
 キャスティが真正面に立って見つめてくる。
「テメノス、今度教えてくれる?」
「……構いませんよ」
 何故だか居心地が悪くなり、返事が小さくなった。その後に「ですが」と付け加える。
「杖の扱いについてはヒカリに聞いた方がいいですよ。どう考えても本職以上ですから」
 ヒカリが瞬きして自身を指差す。キャスティが笑った。
「見ただけで何でも覚えちゃうものね。ヒカリ君、頼めるかしら」
「もちろんだ、キャスティ」
 テメノスやオズバルドは基本的に魔法の強化のために杖を使うが、キャスティなら物理攻撃の手段として扱う可能性が大いにある。彼女の斧捌きはなかなか堂に入っているし、打撃武器もそのうち使いこなすのだろう。武器の扱いが天才的にうまい剣士と組んだら恐ろしいことになるかもしれない、という考えが一瞬頭をよぎったが、テメノスは黙っておいた。
 そこでキャスティが仲間をぐるりと見渡した。
「ところで今日、ここの教会の宿泊施設に泊めてもらえそうなの。みんなが良ければギルドマスターと話をつけてくるけど、どうする?」
「賛成! ギルドの客層も気になるしな」パルテティオがもろ手を挙げて喜ぶ。
「こんなところでも商売するの?」
 ソローネが呆れたように言えば、「辺鄙な場所だからこそ、人や物の流れが意外な場所につながってるかもしれねーだろ?」と返していた。ここにも職務に熱心な者がいた。
「異論はないわね。じゃあ、私はギルドマスターと話してくるわ」
「わたしももう一回中を見てこよう、晩メシのメニューが分かるかも。え、つまみ食いはしないよーアカラ」
 何やら相棒と会話するオーシュットを含めて、キャスティを先頭に幾人かの仲間たちが騒ぎながら教会に入っていった。テメノスはその場に留まり、若干複雑な気分で見送る。
「どうかしたのか?」
 こちらの様子に気づいたヒカリが声をかけてくる。テメノスはため息とともに白状した。
「正直、あまり信心深くない私が他人に神官の心得を教えるのは、どうも気が引けましてね」
 ヒカリは秀麗な眉をぴくりと動かした。
「気にしなくていいと思うが……テメノスは神官として立派に務めを果たしているだろう」
「それはどうでしょうか」
 教会組織への不審感は何年も拭いきれないままだ。ヴァドスの審問のために聖堂機関本部へ向かうのを一旦後回しにしようと考えたのは、そのせいかもしれない。
 するとヒカリが胸を張って請け合った。
「そなたの癒やしの技は皆が頼りにしている。それを認めているから、キャスティも神官の職を選んだのではないか」
「ですが、彼女が魔法を極めたら私の立場がなくなりそうですよね」
 ただでさえ体力面で大幅に負けているのだから。テメノスがそう言い添えると、ヒカリは言葉に詰まった。おそらく同意見なのだろう。反応が正直すぎてテメノスは苦笑した。
 その時、再び姿を現したキャスティが吊橋を渡ってきた。他の仲間はまだ教会にいるようだ。
「もう終わったのですか」
「ええ、二人部屋を四つ確保できたわ。……テメノス、少しいい?」
 急に呼びかけられた。反射的に「はい」と答えるが用事に心当たりはない。この場で魔法を教えてくれ、と頼むわけではないだろう。
 内密な話だと察したヒカリがうなずいて教会に入っていく。少し前まであれだけにぎやかだったのに、今や外にいるのは二人だけだ。
 崖の淵に立ったキャスティは、鞄から緑の葉を取り出して手の中でぶらぶらと揺らす。よくああして持っているが、一体何の葉なのだろう。風に流れて薬の匂いが鼻腔をくすぐった。
 彼女は不意にテメノスを振り返る。その表情は水のように揺るがない。
「教会に入りたくなかったのは、聖窓を見ると思い出すことがあるから?」
 不意打ちだった。テメノスは一瞬黙り込む。
「別に、そういうわけでは……」
 答えながら自分の内面を見つめ直す。正直、否定しきれないものがあった。
 キャスティは静かに続ける。
「でも……最近のあなたは少し落ち着いたみたい。私があなたと会ってから――教皇が亡くなってから、いつの間にかずいぶん時間が経っちゃったわね」
 やはり、彼女はほとんど完璧にこちらの心理状態を見抜いていた。
 これが他の相手なら「まるで普段の私が落ち着いていないみたいですね」くらいは言い返すのだが、彼女に対してはそんな気になれない。本気で心配されていることが伝わってくるからだ。
 キャスティには、フレイムチャーチで出会った時からずっと気遣われていた。カナルブラインで調査を始める直前に言われた「悼む時間を持っていい」という台詞は、今もテメノスの胸にしっかりと残っている。
「おかげさまで」
 彼は短く返してから、赤く色づいた山々を眺めた。
「……心を整理するのに、こんなに時間がかるものだとは思いませんでした」
 キャスティからあの言葉を受けた時、テメノスは教皇のことだけでなく、幼なじみであり異端審問官の前任者であった友人のことまで思い出したのだ。
 自分でも、あの件はそれなりに消化できていると思っていた。どうして友人が亡くなったのか、という「謎」は頭の片隅に残り続けていたけれど、訃報を聞いた時の胸のざわめきまでこうも新鮮に蘇るとは思ってもいなかった。
「それが普通なのよ。私が力になれたなら嬉しいわ」
 キャスティが目を細める。その肩に朽葉が落ちて、深緑の法衣を彩る。神官の衣装は本当に彼女によく似合っていた。テメノスよりよほど本職らしい姿だ。
 今度はこちらから尋ねた。
「あなたはどうして神官を選んだのですか?」
「さっきも言ったけど、回復魔法に興味があったから。一度に複数人の手当てができるなんて素晴らしいことよ」
「あなたは本当に……職務に忠実ですよね」
 薬師として誰にでも救いの手を差し伸べる。彼女は力を施す先を選ばないし、そのためにどんな努力もいとわない。己の生業に対して、テメノスにはない情熱を持っていた。だいたい、記憶喪失でカナルブラインに流れ着いたその日には町の水源汚染事件を解決したというのだから、筋金入りの薬師なのだ。
 キャスティはほほえむ。
「テメノスだって真面目に神官をやってるじゃない」
 彼は肩をすくめる。
「さあね……どうでしょう」
 すると、キャスティは手に持った葉をテメノスに向けた。
「教会組織のことがどれだけ気に入らなくても、あなたが神官であることは確かだと思うの。あなたはそうやって自分のことも時々疑うけど、案外神様はちゃんと見ていると思うのよ。私もみんなも頼りにしているわ」
 まさか彼女の口から神の名が出てくるとは思わなかった。率直な台詞にテメノスは何も返せなくなり、ただほおをかく。
「それに、私の場合は……もう他にすがるものがないから、薬師をやっているのかもしれない」
 彼女の双眸に陰りが差す。おや、と思った。常にぴんと背を伸ばす彼女がこんな発言をするとは珍しい。やはり記憶喪失が心に影を落としているのか。テメノスは思わず口を開く。
「そんなことは――」
「おーい、テメノスさん!」
 その時、アグネアが吊り橋を走ってきた。後ろにソローネもいる。キャスティがそちらに顔を向けたことで、タイミングを逃してしまった。
 彼女がそんなことを気に病む必要はない。今は不透明だろうがその過去に曇りなどないのだと、彼女を見ていれば分かる。今度、機会があれば必ずそう伝えよう。テメノスは自分自身よりもキャスティのことの方がよほど信じられた。
「ほげっ」
 急ぎすぎたのか、アグネアは間の抜けた悲鳴とともに転倒しかけた。まわりの三人が慌ててフォローしようとしたが、彼女はなんとか自力で踏みとどまり、息を切らせて人差し指を立てる。
「あ、危なかった……。あのね、ギルドの地下に聖火神の祭壇っていうのがあるんだって」
「選ばれた神官なら、そこに行くと特別な技を覚えられるってさ」
 ソローネが腕組みしてにやりとする。
「はあ……」
 なんとも胡散くさい話だ。確かにギルドに祭壇があるという噂は聞いたが、「選ばれた神官なんて誰も見たことがない」という落ちがついていた。
 キャスティが笑みとともにこちらに視線を戻す。
「テメノス、行ってみたら?」
 彼女はからかおうとして言っているのではないだろう。テメノスは重い腰を上げた。
「……何も起こらなくても文句は言わないでくださいよ」
 教会に入ると、事情を聞いた他の仲間たちも「見学したい」と言ってぞろぞろついてきた。勘弁してほしいものだ。
 礼拝堂を足早に通り抜け、祭壇に続く扉を開けた。階段を降りた先は天然の洞窟になっていて、列柱の真ん中に聖火神エルフリックの祭壇がある。テメノスは神をかたどった石像を正面から見上げた。何故か像の両目がこちらを見つめている気がして、ぞくりとする。
 彼は神すら疑っている。本当にその目がこの世にあまねく行き届いているなら、今まで何をしてきたのか、教皇の事件だって防げたのではないか、と問いたい。そんな不信心者を神が選ぶとは到底思えなかった。
 こういう場所でやることは一つだろう。ポーズだけでもそれらしくするか、と祭壇にひざまずき、祈りを捧げるために胸の前で手を組む。
 目をつむれば、急にまぶたの向こうがまぶしくなった。
 ――選ばれし神官よ。
 いきなり重々しい声に呼びかけられ、体が硬直する。動揺したせいで、声の主の性別も年代もよく分からなかった。続いて「技を授けよう」という言葉とともに、胸のあたりがあたたかくなる。
 それきり声は去った。ゆっくりと立ち上がったテメノスは、瞬きして胸を押さえる。回復魔法とは違う癒やしの力――誰に習ったわけでもなく、新たな技の使い方を理解できるのは不思議な感覚だった。
 振り返ると、仲間たちがわっと湧いた。
「ね、今のって……そうだよね!」「やったなテメノス!」
 あまりに驚くと声すら出なくなるものだ。そんな中、仲間の輪にいるキャスティと目が合う。彼女の双眸はこう告げていた。
 ――ほら、やっぱり。あなたが自分のことをどう思っていても、まわりの人はあなたを信じているのよ。

 

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