天命の人 1

 西大陸の玄関口カナルブラインに赴任したその日のこと、聖堂騎士クリックは知り合いの異端審問官テメノスと再会し、いくつかの違和感を覚えた。
 まず一つ目だ。何故か町中で衛兵に絡まれていたテメノスを――表情や立ち振るまいが胡散くさく見えたのかな、とクリックは邪推した――助けた後で、二人は神学者ルーチーの家を訪ねることにした。
 港町カナルブラインには海水を巡らせた水路が無数に走り、運河として使われている。その水路の一つを渡る橋に足をかけたテメノスが、ふと動きを止めた。
 彼は短い銀髪を海風に揺らし、目を細めて波の彼方を眺める。その横顔に憂いが浮かんでいるように見えて、クリックはぎょっとした。
「テメノスさん、一体どうしたんですか」
「……失礼」
 考えに集中していたのかそれともぼんやりしていたのか、明らかにテメノスは反応が遅れた。が、何ごともなかったように早足で歩みを再開する。置いていかれそうになったクリックは慌ててマントを翻し、神官の横に並んだ。
 まぶしい陽光に照らされた港町は午後のにぎわいに満ちている。ルーチーの家は人の集まる港や広場と反対方向にあるため、二人は喧騒からどんどん遠ざかっていった。
 大股で歩くテメノスの姿に、クリックはどこか引っかかりを覚えた。思わず声をかける。
「テメノスさん、少し雰囲気が変わりましたね」
「なんですかいきなり」
 彼は胡乱げに目をすがめた。クリックは怯まずに続ける。
「久々に会ったから、だけじゃない気がするんですけど……。そうだ、あなたはフレイムチャーチからどうやってここへ?」
「普通に定期船ですが」
「それにしては時間がかかってますよね。だって、一度本部に戻った僕と同じタイミングでここに来たんですから」
 テメノスが大聖堂から直接カナルブラインを目指したのなら、とうの昔にこの町の調査を終えているはずだ。クリックの指摘に、異端審問官はあごに指を当てて考え込む素振りをした。
「……少々寄り道したんですよ」
「え、意外ですね。まっすぐこちらに向かったんだと思ってました」
 フレイムチャーチで別れた時点で、テメノスは「教皇の暗殺事件を調べるために旅に出る」と言っていた。こういう調査の出だしは早ければ早いほどいい。それに、単独行動のテメノスは、組織に所属するクリックよりも迅速に動けるだろう、と予想していたのだが――
 脳裏が疑問で埋め尽くされたクリックに対し、テメノスはやれやれと肩をすくめた。
「無駄話をしている暇はありませんよ、クリック君。早くルーチーの家に向かいましょう」
「ええ……?」
「寄り道をした」と言ったそばから急ぐなんて、盛大に矛盾している。
(もしかして、これ以上会話を続けたらまずかったのか……?)
 という突拍子もない考えすら浮かんだ。これが一つ目の違和感だ。
 次は、ルーチーの自宅で家主の死体を見つけた直後のことである。
 例の集中状態から戻ってきたテメノスが、ぱたんと祈祷書を閉じる。
「犯人の次の標的は踊子です」
 彼の推理によると、犯人は邪神との戦いで倒れた神々と逆の順番で、その加護を受けた職業を持つ人物――神官すなわち教皇、薬師、そして神学者――を殺したそうだ。クリックには犯人が一体何のためにそんなことをするのか、見当もつかなかった。とはいえ、テメノスの論理は筋が通っていてすんなりと理解できる。なるほど彼の態度には大いに問題があるが、異端審問官として優秀なことはよく分かった。
 クリックは聖堂機関に連絡して遺体の回収を頼むつもりだったが、テメノスに「先に犯人を確保するべきだ」と主張され、それもそうかと考え直した。
「クリック君、踊子に心当たりは?」
 この家に来る前、街路で酒場の客引きに遭ったことを思い出す。
「確か、ヘルメスという踊子の舞台が酒場であるとかなんとか言ってましたね」
「ああそっちですか」
 テメノスはぽんと手を叩く。クリックは首をかしげた。
「そっちって、どういう意味ですか?」
 ほんの少し間があった。テメノスは瞬きして表情を消す。
「いえ、別に。犠牲になった薬師もこの町の住人でしたし、犯人はカナルブラインで有名な踊子を狙っている、と考えるのが自然ですよね」
「そう思うんですけど……?」
 テメノスは何を言わんとしているのだろう。クリックが混乱していると、鎧の肩当てをやや強めに叩かれた。
「何ぼうっとしているんですか、そうと分かれば酒場に急ぎますよ」
「いやテメノスさんが先に言ったんでしょ!?」
 二人は騒ぎながらルーチーの家を出た。どうも、テメノスは「踊子」について別の心当たりがあったように思われる。しかしそれはあくまでクリックの推測であり、真偽のほどは分からなかった。これが二番目のささやかな違和感だ。
 その後、酒場に赴いた二人は、踊子ヘルメスを間一髪で犯人の魔の手から救出した。犯人はフレイムチャーチでも見かけた建築士ヴァドスだった。
 酒場から逃げた犯人を追いかけて外に出ると、すでに夜はとっぷり更けていた。ヴァドスの向かう先を確認し、クリックはあっと声を上げる。よりによって、犯人は聖堂機関の船を目指していた。
「どうしてあんな場所に……」
「とにかく後を追いましょう」
 船着き場に出るには町の教会の裏口を通り抜けなければならない。広場を横切って教会の大扉を開けようとした次の瞬間、クリックの違和感は最大まで膨れ上がった。
「あっいたいたテメノス! もー探したよ〜!」
 いきなり横合いからのんきな声がかかる。振り返ったクリックはぎょっとした。
 小柄な少女がテメノスを指さしていた。その頭には大きな耳が動き、背中にふさふさした尻尾まで見えた。あれはもしや噂に聞く獣人か。
 教会の前の広場には、少女を含めたちぐはぐな三人組がいた。全員こちらを見つめている。テメノスが足を止めたので、クリックもつんのめりそうになりながら急停止した。
「もう調査は終わったのか」
 次に声を上げたのはやたらと大柄な男だ。服装からして学者だろうか? それなりに上背のあるクリックよりも長身で、見上げるだけで威圧感がある。どうやら知った顔らしく、テメノスは「まだ途中です」と返答する。
 そして最後に前に出たのは、ワンピース姿の華奢な女性だった。
「私たちにできることがあれば言ってね。……そちらの方は?」
 にこやかな双眸が聖堂騎士に向けられた。「あなたのお知り合いですか」とクリックが問う前に、テメノスがしれっと答える。
「ええ、彼が聖堂騎士のクリック君です。私の調査を手伝ってくれていまして」
 紹介を受け、クリックは慌てて胸に手を当てて敬礼した。
「あ、前にテメノスが言ってた人だ!」
 獣人の少女が大きく目を見開いた。「前に?」とクリックはおうむ返しに尋ねるが、テメノスの返事はない。
「はじめまして。お世話になっています」
 やわらかくほほえむ女性に、クリックはぎくしゃくと応じた。
「は、はじめまして……えっと、あなたがたは?」
「私の旅仲間です」
「ええっ!?」
 テメノスの発言にクリックは仰天した。仲間? そんな存在がいるなんて、今この瞬間までおくびにも出さなかったではないか!
 すると、テメノスが呆れたような顔でにらんできた。
「何をそんなに驚いているんですか、君は」
「いや誰でもびっくりしますよ。一体いつから――」
「立ち話をする暇があるのか。急いでいる様子だったが」
 話の途中で学者が割り込んだ。丸眼鏡の奥の瞳が鋭く光っており、クリックは思わず口をつぐむ。テメノスが相槌を打った。
「おっと、そうでした。教皇を殺したと思われる犯人が、あそこに停泊している聖堂機関の船に逃げ込んだんです」
「おー、悪いやつを捕まえに行くんだね?」
 小柄な獣人の少女がざっくりと話をまとめた。テメノスは一歩踏み出す。
「ええ、このタイミングでみなさんと合流できて助かりました。一緒に犯人を追い詰めてもらえませんか」
 クリックはまたもやぎょっとした。あのテメノスが、素直に他人に協力を仰いでいる! 自分と接する時とまるで態度が違うではないか。
 それに、年端もいかない少女やか弱い女性を犯人確保に付き合わせていいのか? そんな疑問を抱いてテメノスを見るが、彼は涼しい顔をしていた。
 女性がしっかりとうなずいた。
「もちろんよ。行きましょう」
 こうしてクリックの理解が追いつかないまま、総勢五人で聖堂機関の船に乗り込むことになった。否、獣人の少女の足元には「もう一匹」が付き添っている。先ほどは暗くてよく見えなかったが、四足の獣がそばにいたのだ。ここまでくると、もはやテメノスに説明を求める気にもなれない。
 足早に教会を通り抜けながら、学者がつぶやく。
「しかし、何故犯人は逃げ場のない場所に行く?」
「確かにおかしいわね……海に飛び込むつもりかしら」
「きっと船からウマいもんの匂いがしたんだ。だからつい走っていっちゃったんだよ」
「夕飯時ですしね」
 船に駆け込む間も、クリック以外の四人はなんだか緊張感のない会話をしていた。そこに当たり前のようにテメノスが混ざっているので調子が狂う。
 船にたどり着いた後は、わずかに冷静さを取り戻したクリックが道案内した。侵入者撃退用の魔導機をうまく避けるルートを通って甲板に出る。
「ヴァドスが魔導機と交戦した形跡がありませんね」
「本当ね。気配を隠すのがうまいのかしら?」
 後方でテメノスと女性がぼそぼそと会話していた。彼らと同じ疑問を抱いた直後、クリックは舳先に犯人の姿を見つける。ヴァドスもこちらに気づいて身構えた。
 前に出たテメノスは、淡々とヴァドスの犯行を――教皇を殺した手口を説明していく。さすがに「仲間」たちの表情も険しくなり、それぞれ犯人の退路を塞ぐ位置に陣取った。クリックはいつでもテメノスを庇えるように剣を抜く。
「ここで捕まるわけにはいかない。私には……使命がある!」
 果たして追い詰められたヴァドスは魔導書を取り出し、おまけに魔法生物まで召喚して襲いかかってきた。
 クリックはもちろん神の剣として真っ先に駆け出した――のだが。
「君、どいてどいて!」
 ひょいと後ろから首根っこを掴まれたかと思うと、強い力で引っ張られた。入れ替わるように矢面に立ったのは獣人の少女だ。鎧を着込んだ体があっさり動かされてクリックが驚く間に、テメノスの光明魔法が走る。それで明かりを確保すると、少女が一条の矢を射った。あの細腕から放たれたとは思えぬほど鋭い弓勢だ。矢はヴァドスに一直線に吸い込まれ、しかし間に割り込んだ魔法生物に阻まれる。続いて彼女が「アカラ!」と叫ぶと四つ足の獣が魔物へ突進し、後を追いかけるように学者の魔法が床を焦がす。波状攻撃で弱った魔法生物は、クリックが凪いだ剣であっさりと霧散した。
 この時点でも十分すぎるほど意外性に満ちた戦闘だったが、中でもクリックが一番驚かされたのは女性の活躍だった。虫も潰せないような顔をした彼女が重そうな戦斧を両手で持ち、仲間の活躍によって切り開かれた道をまっすぐヴァドスへと駆けていったのだ。クリックは思わず止めに走った。
「き、危険ですって!」
「いいから見ていなさい」
 いつの間にか後ろに下がって補助に徹していたテメノスが言う。さらには学者も背後にいて、前衛を務めるのは少女と女性のようだった。全員が当たり前のような顔で布陣しているが、「いろいろとおかしくないか」と突っ込みたくなる。
 ヴァドスが放った炎が女性に襲いかからんとする。すかさずテメノスが魔法を唱え、女性の前に光の盾を作り出した。炎が盾の表面を舐める隙に女性は鞄から何かを取り出し、ひょいと投げてヴァドスに当てる。クリックが鼻につく匂いを感じた直後、大きく斧が振りかぶられた。見事なみねうちで、刃のついていない部分がヴァドスの胴部に直撃した。男のくぐもった悲鳴が上がる。その痛みを想像したクリックは背筋を震わせた。
 唖然とする聖堂騎士のそばで、獣人がぴくりと耳を動かす。
「あれ、毒だよ。吸い込むと結構苦いぞー」
「ど、毒?」
 あの女性が使ったのか! クリックが動揺している間に、女性が軽いステップで後退してくる。その身を守る光の盾が薄れはじめていた。そこに、弱ったヴァドスが最後の力を振り絞って炎を放った。
「危ない!」
 クリックはとっさに女性の前に出る。炎にさらされた体の前側がかっと熱くなり、髪の先が焦げた。彼は片目を閉じて、次に襲い来る痛みを覚悟したのだが――
「氷よ、切り裂け!」
 学者の詠唱とともに目の前に壁のような氷が生じ、相手の炎を巻き返した。氷はそのままヴァドスに到達し、犯人は半身を凍りつかせてぐったりと倒れる。氷はすぐに壊れて破片になった。
 結局、クリックは前にかざした腕にかすかな火傷を負っただけだった。
「あなた、大丈夫?」
 女性が心配そうに声をかけてきた。クリックが答えようとすると、テメノスが割り込むようにやってくる。
「彼の治療は私に任せてください」
 神官の杖の先から淡い光が生まれ、あっという間に痛みが消えた。
「それなら私はあっちの担当ね」
 テメノスに目配せした女性は、倒れたヴァドスのそばに膝をつく。何をするのかと思えば、犯人の手当てをはじめた。毒を扱うことから考えて、彼女は薬師なのだろう。先ほどまで全力で戦っていた相手に包帯を巻くなんて大いに矛盾しているのに、不思議としっくりくる光景だった。
 自前の魔導書を閉じた学者が腕組みした。
「で、その男をどうするつもりだ」
「そうですね……おや」
 テメノスがちらりと船着き場に目をやる。複数の明かりがこちらに近づいていた。遠目に見えるあの装備は、クリックの上司や同僚だろう。
「聖堂機関が来ました。部外者が船に立ち入ったことを咎められるかもしれません。みなさんは先に下船してください」
「分かったわ。宿で待ってるから、気をつけてね」
 犯人の手当てを終えた女性はテメノスとクリックに等分に笑みを向け、「あんまり遅いとテメノスの分まで晩メシ食っちゃうよ?」と獣人の少女が指を突きつけて宣言する。最後に学者に促され、旅仲間の三人は速やかに身を翻した。
 その背を見送った途端、テメノスの雰囲気ががらりと変わる。目つきがどこか鋭くなり、声が一段と低くなった。
「さて、カラスの相手をしますか」
 その台詞を聞いたクリックはうっかり安堵してしまった。やっと自分のよく知るテメノスが戻ってきた気分だ。しかし、果たして先ほどまでの比較的穏やかな姿とどちらが「本来の彼」なのだろう。
(もしかして、こういう部分は仲間に見せたくなかったのかな)
 クリックは三人が消えた方角を見つめながら尋ねる。
「あの人たちはテメノスさんが導いてきたんですか?」
 いきなり旅の連れが増えたのは、「一人旅に不安があって神官の導きを使ったから」だと推測したのだが。
 テメノスは少し眉を下げた。
「違います。……私が彼女についてきたんです」
 え、と唇から声が漏れる。「彼女」というのはおそらく薬師の女性のことだ。何故だかそう直感した。
 クリックがそれ以上問う前にカルディナ機関長が甲板に到着したため、残念ながら疑問はうやむやで終わった。とにかく、これが最後の違和感だった。

 船の中で上司たる機関長に報告を済ませたクリックは、同僚オルトとの会話を経て、暗い町を歩いていた。
 一足先に別れたテメノスに、建築士ヴァドスを審問する機会ができたことを報告しようと考えたのだ。異端審問官との折り合いが悪い機関長も、さすがに今回の功績は認めざるを得ないようだった。こういう朗報はなるべく早く伝えたい。
 星に覆われた空の下、クリックは町の入口近くにある宿を目指す。「今晩はそこに泊まる」とテメノスに聞いていたからだ。
 その途中で、周囲の建物から漏れる明かりの中にぼんやりと金の髪が浮かんだ。クリックは立ち止まる。
「あなたは……」
 後頭部で髪を団子にまとめた女性が、水路にかかった橋の上に佇んでいた。彼女はクリックを見つけてふわりとほほえむ。
「クリック君、だったわよね? 名乗るのが遅れてごめんなさい、私はキャスティよ」
 そういえば名前も聞かぬまま別れたのだった。クリックはきっちり敬礼を返してから尋ねる。
「キャスティさんですね。あの、テメノスさんは宿にいますか?」
「いいえ。ここで待っているんだけど、まだ帰ってこないの。どこかを散歩しているのかもしれないわね。考えごとがあるんでしょう」
 キャスティは姿の見えない神官を心配している様子だ。テメノスは一度集中するとまわりが見えなくなるので、うっかり水路に落ちていなければいいのだが。
「そうですか……」
「伝言があるなら私から伝えるわよ。それとも直接話したいの?」
「はい、できれば直接」
 クリックは、彼女たちが教皇暗殺事件について何をどこまで知っているのか把握していない。いくらテメノスの旅仲間とはいえ、掴んだ情報を渡すかどうかはテメノス本人の判断に委ねるべきだろう。
 考えに沈むクリックに、キャスティが声をかけた。
「ねえ、テメノスを待つ間に少し話をしない?」
 願ってもない申し出だった。彼女たちには質問したいことが山ほどあるのだ。
「僕もそうしたかったところです」
 二人は水路に沿って設置された手すりに寄りかかった。静かなさざなみの音が鼓膜を打つ。
 不意にキャスティが近寄ってきた。薬のような香りが立ち、クリックはどきりとする。
「さっきの戦いで怪我をしていたでしょう? もう一度診せて」
「え? あ、はい」
 最後に負った火傷のことだろう。合点したクリックは自ら小手を外して袖をまくりあげる。もちろんテメノスの魔法で完治しており、跡もない。ああ見えて彼の治療の技術は確かだった。
 キャスティは感心したように息を吐く。
「回復魔法って本当に綺麗に処置できるわね。テメノスは優秀なのね」
「ええっと……」
 クリックは腕を取られたままぽかんとする。するとキャスティがぱっと手を離した。
「あ、お節介だったかしら。私は薬師だから、つい気になったの」
「いえ、そんなことは……」
 職務に対して真面目な人だということは十分に伝わった。クリックは装備を戻しながら話題を変える。
「みなさんはどうやってテメノスさんと知り合ったんですか?」
 軽くあごを引いたキャスティはすらすらと答えた。
「私たちがフレイムチャーチを訪れた時に出会って、テメノスから『同行しましょうか』って言われたの。多分、あれは彼が旅立つ日だったのね。その時はテメノスを含めて七人いて、そのあと最後にオズバルド……さっきの学者さんが加わったのよ」
「お、多いですね……」
 あの異端審問官は団体行動ができたのか……と驚いた。正直、組織に所属すること自体があまり向かない人種に思えるのだが。
 しかし、テメノスの仲間に対する態度は温厚そのものだった。あれはクリックがまったく見たことのない姿だった。
「いざという時にこうして助け合えるから、一緒にいて良かったわ」
 キャスティが屈託なくほほえむ。聞けば、彼女たちはそれぞれ別の理由や目的があって旅をしているという。その上で互いの旅路に協力し合っているのだ。そんな一行にあのテメノスが加わっている、という事実には今更ながら驚かされる。
(そうか、カナルブラインへの到着が遅れたのは、キャスティさんたちの用事があったからだな)
 おかげで昼間の疑問が一つ解消した。直後、クリックは「ああ」と納得する。
「今日のテメノスさんは、前と雰囲気が変わったように見えたんですけど……きっとみなさんと出会ったからですね」
 キャスティは首をかしげた。
「そうなの? どう変わったの」
「刺々しさが薄れたというか……」
 いや、この表現は正確ではない。テメノスは聖堂機関に対しては以前と同じように辛辣に接していた。あんなに穏やかな顔を見せたのは、仲間と会話する時だけだ。
 するとキャスティはかぶりを振る。
「私たちの前ではいつもあんな感じだけど」
「え、そうなんですか」
「少なくとも、刺々しいと思ったことはないわね」
 信じられなかった。テメノスは初対面のクリックに対しても、あんなに人を食った態度を貫いたのに。
 今日抱いた違和感は他にもあった。もしかすると、キャスティはそれを解消するヒントを持っているかもしれない。勢い込んだクリックは今日の経緯を軽く説明した。
「――ヴァドスの次の狙いが踊子だと分かってから、テメノスさんの言動がおかしかったんです。なんというか……ヘルメス以外の踊子を知っているかのようでした」
 キャスティはあっさりと答える。
「私たちの仲間にも踊子がいるの。テメノスはそっちが狙われる可能性を考えていたんじゃない?」
「そういうことですか」
 なるほど、犯人の狙いが判明した時、テメノスが少し安堵したように見えたのはそのせいか。
 ならば最初の違和感はどうだろう。クリックは、ちょうど今立っている橋の上で起こった出来事を回想する。
「それと、昼間テメノスさんがこの橋で足を止めたことがありました。なんだか不思議な顔をして……ぼんやりしていたというか、ここではないどこかを見ていた感じでした」
 クリックが声をかけるとすぐに消えてしまったけれど、あの時テメノスははっきりと横顔に憂慮をたたえていた。
 キャスティは両目を見開く。
「私も似たような表情を見たかもしれない。今朝、テメノスが私たちと別れて調査に出る直前に、少し話をしたの」
「話、ですか?」
「ええ。……身近な人の死を悼む時間を持ってもいいって、どうしてもあの人に伝えたくてね」
 心臓が大きく音を立てる。クリックは息を呑んだ。
 キャスティの金の髪に、きらきらと星の光が流れ落ちる。彼女は静かに暗い海面を見つめていた。
「教皇が亡くなられて大変だったんでしょう? それなのにテメノスは無理に前に進もうとしているみたいだったわ……。『傷心旅行じゃない』だなんて、わざわざ自分に言い聞かせてね。それが気になったの」
 まったく想定していなかった可能性を示唆され、急激に全身に血が巡っていく。
「まさか、そんな……あの人は亡くなられた教皇猊下を見つけた時だって……」
 クリックは呆然とつぶやく。
 テメノスは大聖堂の中で遺体を発見した直後から、混乱するクリックと違って冷静に事件を読み解こうとしていた。いや、あの時は近くにクリックがいたからそうした――そうせざるを得なかったのだろうか?
 キャスティは手すりに腕を乗せ、頬杖をつく。
「冷静になろうとすること自体はいいと思う。でも、胸の痛みまで無視してしまうのは、心と体にとって望ましくないわ」
 彼女は薬師の視点からテメノスの不調を見抜き、「もう少し悼む時間を持ってもいい」と伝えたのだ。
 おそらく、今まで誰もそんな言葉をテメノスにかけたことがなかったのではないか。彼は抱えた感情をはっきりと表に示さない人だ。クリックだってその平然とした様子にすっかり誤魔化されていた。
 そうか。昼に橋の上で足を止めた時、テメノスはきっとキャスティにかけられた言葉を反芻していたのだ。たとえほんの一瞬だろうが、彼はそうすることで自分の心に向き合う時間を持った。
 教会に対する疑り深い態度も、仲間に見せる穏やかな顔も、どちらもテメノスの一面で間違いない。けれど、より本質に近いのは――
 クリックは身を乗り出した。
「あの、キャスティさん。よければもう少しくわしく――」
「こんな場所で密会ですか、クリック君」
 いきなり背後から冷たい声が投げられた。無論テメノスだった。ぎょっとして振り向けば、小脇に本を抱えた彼が眉間にしわを寄せてこちらを見ている。
「うわ! びっくりさせないでくださいよ」
「驚きすぎです。何かやましいことでも?」
 テメノスがわざとらしく断罪の杖を取り出したので、クリックは慌てて身を引く。キャスティがくすくす笑った。
「あなたが散歩から帰ってくるまで付き合ってもらっていたの。クリック君とお話があるのよね?」
「ええ、少しね」
「なら私は宿に戻るわ」
 クリックに気を使ってか、長く待っていたにもかかわらずキャスティはあっさりときびすを返す。するとテメノスが手で制止をかけた。
「待ってください。宿まで送ります」
 キャスティはぱちぱちと瞬きしてから宿の方角を振り返る。
「目と鼻の先じゃない」
 ここからでも看板が見えるくらいだ。予想外の発言にクリックが絶句していると、テメノスに肘で脇腹を小突かれた。
「ほら、ここは騎士の出番でしょう。気が利かない子羊ですね」
「わ、分かってますって!」
 結局二人でキャスティを宿まで送り届けた。その短い道行きで、薬師と神官は「ところであなたはどこに行っていたの?」「あたりを散歩していました。この時間は静かなので、考えごとがはかどりますね」「やっぱり。そうだろうと思ったわ」と対等にやりとりする。後方を歩くクリックは黙ってそれを聞いていた。
「二人とも、送ってくれてありがとう。おやすみなさい」
 笑みを残して宿の入口に消える女性を見送ってから、クリックは本題に入る前につい恨み言を吐く。
「……あなたは僕に対する時とキャスティさんがいる時で、ずいぶん態度が違うんですね」
「彼女にはそう接したいからです」
 テメノスはあっさりと認めた。正直すぎる発言だ。とはいえ、先ほどキャスティと会話したおかげで、その変わり身にもある程度納得できた。
 クリックはふっと息を吐く。これまでは「テメノスが何を考えているのかいまいち分からない」と思っていたが、今日の事件を経て多少なりともその輪郭をとらえられた気がした。彼は新鮮な心持ちで正面からテメノスを見つめる。
「キャスティさんと話をして、あなたの気持ちが少し分かりました。……だから、あなたはあの人についてきたんですね」
 彼の旅路は一人で成し遂げられるものではない。偶然だろうが何だろうが、彼は手助けを必要としている時にそれを与えられる仲間たちと出会えたのだ。
 その言葉を聞いたテメノスは、我が意を得たりと言わんばかりに口角を吊り上げた。

 

戻る